2010年4月19日月曜日

普賢象桜

今日の大朝は曇り、肌寒く、散り始めの桜もどうしようか迷っているように見える。17日の土曜日は久しぶりの快晴であった。総合型地域クラブ「大朝人くらぶ」の会員対象に岩国・錦帯橋を歩こうと題して、ウォーキングを楽しんだ。参加した36名も1歳8か月の子供から87歳の先輩と幅広い、晴天の下、午前中の2時間は大朝に縁のある「洞泉時」などボランティアガイドの説明を聞きながら、史跡巡りをしウォーキングを楽しんだ。昼からは各自、山に登ったり、花見をしたり、それぞれ好天の下、リフレッシュされていた。桜はほぼ、散っていたが道のそばに大輪の桜が咲いていた。ガイドさんに尋ねると「普賢象桜」と言う事。珍しい花を見る事ができた。私は昼からは人の花(鼻)を見て地酒の利き酒をして一時を過ごした。夕方五時前には無事大朝に到着。参加された方々も満足そうに家路に着かれた。

「普賢象桜」
室町時代から知られている最も古い里桜。普賢菩薩の乗っている象の鼻に似ていることからこの名前が付けられたとのこと。花は大型八重咲き。枝が長く大輪の花が垂れている。

2010年4月11日日曜日

ライトアップ

今日の大朝は雨、昨晩から雷や激しい雨が降った。折角の日曜日だったが、一日中小雨の日であった。
先週の日曜日は東京にいたが寒い雨の中、桜が満開であった。日が経つのは早い、もう一週間。我家の老木のしだれ桜も今年の厳しい冬を乗り越えてくれ、立派な花をつけてくれてた。例年より、花の色が濃い気がする。夜、雨がやんだので恒例のライトアップを開始した。田舎の一軒家ではあるが、一週間程度ライトアップを続け、春を歓迎したい。

2010年4月10日土曜日

術後は順調?

今日の大朝は晴れ、会社の前の桜は七分咲き、今年は沢山の花をつけている。寒暖の差も激しく、雨雪も厳しい中であったが、綺麗な花をつけている。今年は我家のしだれ桜も色鮮やかな気がする。
さて、昨年末から我家で不思議なことが起きている。玄関に置いている「タヌキ」の置物である。縁があり3年前に我家の玄関へ来た。それが昨年12月ごろから、気がつくと、転倒している。新聞配達の方か郵便配達の方が当たったのではないかと、気にしていなかったが、今度は庭に大きな石があると拾ってみると、何とタヌキが持っている徳利ではないか。家族も「不思議」に気がつき始め、食事の時の話題になり始めた。その後、事件勃発、昨年末の事であるが転倒し、縦にまっ二つに割れ、タヌキが破裂してしまった。大きな丸い足跡?形跡はあるが何か不明。拾い集め、廃却しようとしばらく保管していたが、家族が「やはりさみしい」その意見が強いため、強力接着剤で手術、修復できた。また、玄関に置いていた。
その後も傾いたり、転倒したりを繰り返していた。・・何かがそうしている。今年の2月、遂に極めつけ、この度は横にまっ二つになっているではないか、ぐちゃぐちゃ・・・以前とは多くのパーツを拾い集め、今度こそは廃却しようと保管していた。数日経ち、やはりどうも玄関がさみしい。強力接着剤も買ったことだし、大手術に挑戦することを決意した。完全にはいかなく、パーツも少し残ったが。葛藤の結果、何とか手術は成功した。→現在に至る。(この2ヶ月間は、変化なし。)・・・いったい何者だったのだろうか。野生のタヌキか?犬か、猫か???????

2010年4月9日金曜日

まっとうな道を歩む

今日の大朝はうす曇り、昼からは雨の予報だ。今週前半は東京へ出張していたが、時雨に近い雨の中、満開の桜が散りもせず我慢していた。帰ってみると、大朝も開花し始めていた。この日曜日頃は八分咲きぐらいだろうか。異常気象とは言え、季節は着実に進んでいく。東京と地方の格差は常々感じるところであるが、各社訪問して打ち合わせをしてみると、実に難しく、不透明な世の中で「停滞」した話が多い、アジア価格。まず値段、デフレ社会を物語っている。いや、正に大きな変革が起きていることを痛切に感じる。安岡教学の一節で、格調高い人間の生き方を示した言葉で「不遇を嘆かず、人間としてまっとうな道を歩めれば、それで十分ではないか。・・・たとえ地下百尺に埋もれ、誰にも認められなくてもかまわない。」それだけの覚悟がなければ何もできない。「人間としてまっとうな道を歩む」失ってはいけない心構えだと思う。今日もいざ出陣・・。

2010年4月6日火曜日

元気で何より。

今朝の東京は曇り、出張中だ。昨日も一日中雨、肌寒かった。今日は暖かそうだ。満開の桜も寒さのせいで満開を固く保っている。何時ものように早朝ジョギングをし、最近見かけない、愛宕山神社の掃除をしているおじいさんに会いに寄ってみた。今日もいない。しばらく86段の急な石段を見上げていると、ガタガタと音がするので振り返ってみると、何とおじいさんが来ているではないか。半年振りだ、87歳の高齢なので、勝手な想像で亡くなったのかな?等と失礼なことも考えていた。ひとしきり、話をしてお元気でますます聡明、素晴らしいことである。銀座から自転車で来られ、午前午後石段の掃除をされているようだ。何故、ここに毎日来られ、お掃除をされるのか、辛い過去のお礼ということである。人それぞれではあるが、「私にはこれしかできない。」重い言葉であった。しかしその信念こそとても重要なことで、おじいさんから感じ取れるオーラが何故か勇気を与えてくれる。またね。と愛宕山神社を後にした。
今日は何か良いことがありそうだ。・・・いざ出発!