2010年5月4日火曜日

第101回設立記念式典

今日の大朝は晴れ。今日も暖かい一日だ。大朝は農作業の真っただ中である。各家には沢山の車が止まっている。農作業を手伝いに都会から帰ってこられているのだ。大朝はこの時期が一番人口が多いのではないだろうか。さて、昨日、5月3日は母校の広島県新庄学園の設立記念日だった。昨年100周年を終え、また新たな一世紀のスタートを切った。式典に続き、宮庄良行理事長の「新庄学園のこころ」と題し講演があった。1900年前後、東京で津田塾、実践女子、東京女子医大等、女性のための教育が始まった矢先であるが、時を違えず、1906年地元、日野山城主吉川元春公の贈位を記念して、地域の有志が集まり、生きた記念碑として、新庄女学校を設立された。明治42年まだその当時は「小人、女人」は完全に差別されていた。何と崇高な志が芽吹いたものであろうか。「人間として、女性として、国民として」立派に育て上げたいという強い思いがあったらしい。鹿児島ご出身の豊留アサ先生(東京女子大卒)との出会いもあり、校長として基礎を気づかれている。・・(追記参照)よくぞ、この中山間地のこの地に。・・いくら考えても私のレベルでは想像を絶し、映像すら出てこない。しかし、一世紀、立派に歴史を刻み、更に続けている。私が凄いというのは恥ずかしい気がするが余りにも崇高すぎる。講演を聞きながら、今の現実に戻してみても、この2010年は「100年前に新庄に女学校を造ろう。」と発起されたと同じぐらいの発想で物事に取り組む時期のような気がした。政局、経済、教育と全てが再度、歴史に学び、先人に学び、新たな社会に動き出す。そんな年になるのではないかと、零細企業の経営者のはしくれではあるが、ビビッと直感がはしった。「正にいまだ」と。わが社も同様、新たなる時代の「夢」=(目標)に向かってスタートだ。

【コラム】新庄学園女子寮の“お主婦さん”物語
新庄学園女子寮には創立1909年以来の主婦制度があります。これは当時日本女子大学を卒業され校長として赴任された鹿児島県加治木出身の豊留アサ先生が日本女子大学女子寮の「主婦制度」をそっくり新庄女学校(当時)の女子寮にもってこられたものといわれています。

家庭の主婦は家庭の切り盛りをするように、寮にあっては舎監の指導のもと寮の切り盛りをするというところから、寮の“お主婦さん”という自治制度が設けられました。現在でも最上級生が交代でお主婦さんになり、親身になって下級生の学習・生活指導をしたり、相談にのったり、注意をしたりしています。お主婦さんの仕事は大変苦労も多いのですが、この経験こそ上級学校に進学したり、社会に出たとき威力を発揮します。

新庄学園では寮の方針として個室を設けていません。一部屋に必ず1,2,3年がいるようにしています。(ただし3年生は後期日程から3年生だけの部屋となります。)こうして一緒に生活することにより上級になるのに従って下級生の指導ができるようになり、また、それが人間関係をつくっていくためのよい練習になっています。 このようなねらいがあるため、男子寮、女子寮とも原則として2,3年からの入寮は認めていません。

以前(40年くらい前?)はお主婦さんの部屋に入る時は、膝をついて両手で戸を持って「ごめんあそばせ」と言って入ったそうです。また、昔の女子寮は階段が狭く、下級生が階段を途中まであがっていた時でも上級生が上にいたら、いったん下まで降りてその上級生が降りてくるのを待ったそうです。

ある女子寮出身の方が就職して研修に参加したときの話。その方の布団のたたみ方を見て、そこの指導教官が「あなたはひょっとして新庄学園女子寮の出身ではありませんか?」と聞かれたそうです。驚くその方に「そのような布団の折りたたみ方は新庄の女子寮のやり方です。それですぐわかりました。」と言われたそうです。

現在「ごめんあそばせ」という言葉は残っていませんが、夜の点呼の時、お主婦さんからの伝達は「…してもよろしゅうございますが…」という言い回しがわずかに残っています。これは1909年開寮当時からの由緒ある(?)言葉です。

数年前、NHKの連続ドラマ「春よ来い」というのが放送されましたが、その主人公は日本女子大学の寮生で、そこでの生活ぶりが描かれていました。脚本は「渡る世間は鬼ばかり」の橋田壽賀子さんです。橋田さん自身が日本女子大学の女子寮におられたそうです(私の記憶違いでなければ)。

このドラマを見て、かつての女子寮と同じであることに驚かされたことをよく覚えています。ドラマにはお主婦さんも確かにおられました。部屋の雰囲気、寮生の着物など昔の新庄女学校女子寮とそっくりでした。

日本女子大学に電話して新庄学園女子寮のお主婦さんのことを話したところ、応対された方も日本女子大学女子寮の出身の方で「わたしがいたころは確かに主婦制度がありましたが、今はもうなくなったようです。」との返事でした。

日本全国で本校の女子寮以外に日本女子大の主婦制度が残っているところはあるのでしょうか。日本女子大学女子寮出身の方、もし「お主婦さん」の現役姿をご覧になり「お主婦さん」とお話ししたいという方がいらっしゃれば、ぜひ新庄に来てみてください。できれば橋田壽賀子先生にも来ていただきたいものです。「お主婦さん」の伝統は今もなお広島の田舎で力強く息づいていますよ! 

豊留校長先生の時代に女子寮にいらっしゃった方がまだご健在であればぜひ一堂に会して、いろいろお話を聞かせていただくような会がもてたらと思っています。当時の資料、思い出などありましたら、ぜひお知らせ下さい。

昭和54年からの主婦日誌が女子寮に残っているそうです。どのような思いで歴代のお主婦さんが主婦としての任務を果たしていたかぜひ拝見したいものです。

 ( 文責 山田隆介 )