2009年1月9日金曜日

一隅を照らす

今朝の大朝は気温1度、曇り。予報では今夜から大雪になるとの事。事前に分かる事は良いことであるが今の様子からすると不思議である。さて、昨日会社での出来事である。私の前を一社員が横切り、何のためらいも無しに上履きのままで外に出て行った。本人に問いただすと、返答に苦しんでいたが認めた。「決められた事が守れないなら私も考えが有るぞ」と注意した後捨て台詞を言うぐらい私にとってショックな事であった。弊社は製造しているものの性質でクリーン度の高い会社である。それとは別に特別な事ではなく「当たり前の事は確実にしよう」小さな事であるが挨拶、トイレの後始末、整理整頓は特に厳しく習慣づけていたつもりであったが、それにもかかわらずこのような社員がいることがショックでならず、昨夜もずっとそのことを考え続けていた。その社員は家に土足で入るのだろうか。会社だからそうしたのだったら、会社全体がそのような風土なのか。・・・色々と想像する。考えを絞って行くと人間性に戻ってくる。「一隅を照らす」と言う言葉を思い出した。よく使われる言葉であるが中国の故事から出た言葉である。魏と言う国の殿様と斉と言う国の殿様のやり取りで魏の殿様は素晴らしい玉が十個有るこれが国の宝です。あなたの国は大きいからまだすごいものが有るでしょう。と尋ねたら斉の殿様が「わが国にはそのようなものはありませんしかし、農業なら農業、外交なら外交で一隅を照らす非常に立派な家来がおります。と答え、それを聞いた魏の殿様が恥入ったという話から生まれた言葉である。住友電工の中興の祖とも言われた田中良雄さんと言う素晴らしい方がおられ、他界後、見つかったその方の詩が素晴らしいので紹介します。(一隅を照らす者で私は有りたい 私の受け持つ一隅が どんなに小さいみじめな はかないものであっても 悪びれず ひるまず いつもほのかに 照らしていきたい)天下の住友もこのような立派な人がおられたからこそ今日が有ります。私たちは会社と言う大きな光に照らされて自らが光っています。驕るのではなく感謝しながら田中さんの詩のように随所で光りたいものです。