2009年3月12日木曜日

何が違うのか。

今日の大朝は晴れ。春の訪れを日に日に感じる。先日、ある会合で、外国の写真家が撮られた被爆以前の広島の写真をみられた人が「写っている子供の目が今の子供には見られない。何が違うのか。」と言う話題になった。しばらくその話題で話が弾んだ。「生きることを考えていた。」そういう結論に収まった。私は比べた事がないので何ともいえないが、意見を聞いていると「経済背景」が見えてくる事に気がついた。先輩方は悲しい戦争時代も広島は原爆も克服しておられる。100年は草木も生えないとまで言われた時代を生き抜いておられる。私を含めそれ以降は全て飽食の時代に生まれ、生活をしている。先輩が昔と今の違いは「生きることを考えていた。」その意味はとても重く、深い言葉であると思う。私にとって子供の目で記憶にあるのは「インドネシアの子供達の目である。」生きるため、食べるためかダウンタウンでも車が止まればすり寄って来、「物を売ったり、お金をねだる。」その行為の是非ではなく、子供特有の澄んだ瞳は全世界共通であろうが「目力」は今までの人生で見たことがなかった。その記憶が脳裏を走った。「必至・真剣・生きる・食べる」全ての言葉が一つになると違いとなり、目に表れて来るのではないだろうか。
私達にとって今は苦しい時代であるが、先輩方はまだまだ修羅場を克服しておられる。小さな写真展の話からではあるが、「大切なもの、生きる勇気」を頂いた感じがした。