2009年5月7日木曜日

新庄学園創立100周年記念式典

今日の大朝は晴れ。さわやかな日であるが風が肌寒い。大型連休も本日で最後である。会社を始めて27年、様々な事に遭遇したが昨年末からの大不況、初体験の連続である。正月もゴールデンウィークも完全休暇をとるなど考えもしなかったが現実となっている。一般には当たり前のことで有るが、中小企業は働いてこそ生きつなげる組織である。全ての固定概念を捨て、また新たなスタートに立っているような気がしてならない。さて、先日5月3日、母校、新庄学園の創立100周年記念式典が行われた。来賓の祝辞の中に「教育界の奇跡」と言った言葉が続いた。1909年5月3日、広島県山県郡新庄村に「農村的教養」と「土地の繁栄」を求め、35人の村人の力で、28人の生徒と教師2人の小さな私立女学校が設立された。新庄女学校は、大正時代には中学校を開校し、更に諸施設を増設して総合学園への道を進んで行った。戦後、広島新庄中学・高等学校となった新庄学園は、今、百年の時を越え、山村で一世紀を越えて私学が存続・発展するという、日本教育史に例を見ない足跡を刻んだのである。幾多の経営危機も克服し、継続し続けた事への「驚きと不思議」率直に多くの方々から「奇跡」と言う言葉で発せられておりました。大朝地域の人口は3000余人程度で中山間地、どう、誰が考えても私学が成り立つとは思いません。当日は関係者300人が集まり、一世紀の偉業を改めて再認識した。在校生も大きな力になったに違いない。理事長の宮庄良行先生が100年の歴史を淡々とまた、熱く語って頂き、私も卒業生として、また、末端ではあるが学園関係者としてとても感銘を受けた。「農村、山村」響きは悪いが考えてみれば日本を代表する人物「二宮尊徳や安岡正篤」の原点は農業である。「歴史を知らないと人間は生きて行かれない。」こう断言されている先人もいる。理事長から語られた「学園の歴史」、時代は大きく変わっても、教職員をはじめとする学校関係者、生徒へと確実に受け継がれていくことであろう。また、1日、2日と一歩一歩、道が出来ている母校の繁栄を期待したい。
昨日、投稿していませんでした。(5/6発信)