2009年2月12日木曜日

ひとつだけの平等

今日の大朝はとても温かで春を感じる一日であった。黄砂のせいか春霞の状態であった。この2日間は身内の不幸で辛い思いをした。丁度、長沼先生の講演会の時に訃報が入り、その夜、先生からのメールに、勝ち組・負け組、金持ち・貧乏とこの世は色々な格差は有るがひつとだけ平等な事は「いつかは必ず死ぬる」と言う事。とありました。私も同感です神がかった事を言うようですが「運命はきまっている」と思います。日々を「面白く、かなしく、さみしく」これは自由ですが、決まっているのであれば「一日を大切にまた楽しく」過ごす方がいいと思います。しかし、中々現実はそうはいきません。考えてみると呼吸も心臓の鼓動も、自分の意志でしているわけではありません。内臓の動き、血液の循環もそうです。自分の意志ではなく、目に見えない崇高な働きによって、私たちの命は今ここにあります。よく言われますがまさに「生かされている」のだと思います。好物のお酒をたくさん飲み、私は良い気分で寝て、何事もなかったように朝になります。しかし、内臓は休むことなく夜、重労働し続けなければなりません。自ら自分勝手なものだと思います。もっと自分を安めてやらなくてはいけない気がします。ある本に、「自分の体、自分の命は自分のもの、と私たちは思っている。だが、すべて天地から借り受けたものだ。」とあったが、そうであれば大切にまた、可能性を十分に発揮してお返ししたいものだ。今回の辛い別れが「私に何を教えてくれたのか」時間をかけて考えてみたい。