2009年7月14日火曜日

言うは易し行うは難し

今朝の大朝は晴れ、今日も蒸し暑い。社員教育の大切さは身にしみて痛感しているが反対にこれだけ難しく、結果として表れが見えないものもない。しかし、教育は大切である。基本となるのはあくまでも個人、その個人が個々にレベルアップしない限り結果などでない。いつも会社で口癖のように言う事が有る。「なぜ飲酒運転が減ったと思う。」昔から悪いことなのになぜ今になって減少しているか。個々の自覚、認識が変わったことに尽きるのではないだろうか。教育者の東井義雄先生の詩に「人間の目は不思議な目、見ようと言う心がなかったら見ていても見えない。・・・・(耳も頭も同じことと、続く)、結局、心のスイッチが人間をつまらなくもし、素晴らしくもしている。漠然とした表現だが「心、意識、自覚」が大きな鍵を握っていることは事実であろう。私は会社としての小さなステージしか今は集中できないが、ここに大きなポイントが有るように思う。先日、東京で早朝ジョギングを済ませ、ホテルの近くの
愛宕山神社に寄った。階段の多さと、傾斜の厳しいのには驚く、一人の老人が段ボール箱を持ち階段を一段ずつ掃除されていた。お早うございます。と言うと、返事が返ってきた。お元気で何よりですね。すると老人が1年365日毎日させて頂いています。失礼ですがおいくつですか、と尋ねるとこの階段の数と一緒で86歳です。と答えらた。お住まいは近所ですか。銀座から来ています。見ると、小さな自転車が一台あった。そんな会話を済ませホテルに帰り、「健康のため」にすれば余りにもハードすぎる。確か、昨年も同じホテルに泊まり、余りにもきつい階段の傾斜が珍しく、写真をとったことを思い出した。
会社に帰り、保存している写真を見てみると、何とあのおじいさんがダンボールを持って掃除している姿が写っていた。まったく記憶にもない、まさに「見ようと言う心のスイッチ」が入ってなかったのであろう。
継続は力なり、来年の事を言うと鬼が笑うが、又会う事が出来たら、「なぜ、この過酷な掃除を続けておられるのか。」聞いてみたいと思う。何れにせよ、人ではない自らの確立だ。