2009年4月8日水曜日

まず自ら

今日の大朝は快晴。大朝も随所で桜が咲き始めた。この週末は「桜花爛漫」と言ったところであろう。景気の方はいっこうに厳しいものが有る。国も更なる経済対策の検討を進められている。現実は深刻な状態になっているに違いない。我家も先日送られてきて「給付金」有り難く請求させていただいた。気前よく、使わせていただきたいと考えている。使わないと景気は低迷するばかりだと言う考えからだ。このような世になると、更に殺伐とした人間関係、特に我の強い「モンスター」、世の中を無視した人間が巻き起こす色々なトラブルが絶えない。「世の常」と言えばお仕舞いであるが、困ったものである。
昨日、来客と話をしていると、有る社長が会社の事で悩んでいるので「それなら長田社長に相談しなさいと言ったのですよ。」と言われました。私も課題山積そんな器ではありませんが、「どういう悩みですか。」と聞くと、開業して10年、「社員が長続きしない。」と言う事らしい。その場で背景が分からないので返答は避けた。言葉にはしなかったが「その社長が従業員の立場だったらどう思うか」と相手の立場で考えると原因が分かるのではないかと、ふと思った。
私は今、この時代は「先人に学び、時代にアレンジし、進む時だと考えている。」古典に「修身・斉家・治国」と言う言葉が有る。読んで字のごとくであるが天下泰平をもたらそうとした人々は、まず自らの国をしっかり治めた。自らの国をしっかり治めようとした人々は、その前に自らの家庭を和合することに努めた。
家庭を和合させようとした人々は、その前にまず自らの徳性を高める事に努めた。と言う意味である。
治国のみならず会社でも組織でもすべてに当てはまる事ではなかろうか。「私がやった。」「私が居なかったら」・・等など、話を聞くとその言葉の連唱。自己評価も大切かも知れないが、評価と言うものは「十目」「十手」大衆はお見通し、この事が解ってない人が余りにも多い。「まず自ら」磨きたいものである。
先の事は誰もが分からないが「今日を真剣に生きる。」事は誰でも出来る。他人事ではなく、自ら実践したい。
追記、昨日は地元の広島新庄中学校・高等学校の入学式に出席してきた。母校でもあるが学校法人の監事をしている関係で出席した。在校生の歓迎の言葉で「一期一会」と言う言葉をいれ、実に素晴らしい挨拶であった。先日の大学の卒業式、今回と、「新しい時代を担う、優秀な若者がどんどん育っている。」
私達もしっかりしないといけないと、「喝」を入れられたような気がする。